春期現地小集会
蕎麦粒山(1,296.7m 二等三角点)
以前の記録を見ると、1987年(昭和62年)4月11日(土)揖斐郡久瀬村の「増元屋」で総会を開いている。
翌日、当時の坂内村広瀬の役場を通過して大谷川に沿って現在の遊ランドスキー場から大谷林道を奥へ進んだことを覚えている。
平成20年5月25日(日)、午前中は5o未満の雨で午後から曇りの予報であったが、前日から地域によっては継続的に小雨が降っていた。現地へ行ってみないと分からないので、岐阜市内で長屋さんを乗せ、とりあえずコンビニで弁当を買い集合場所へ急ぐ。集合場所の道の駅「星のふる里ふじはし」に着いたのは集合時間の5分遅れだった。集まったのは僅かに7名。打ち合わせすることもなく出発し、坂内振興事務所(旧坂内村役場)の先で右折し大谷川の左岸を進んだ。途中「遊ランド坂内」を左に見て大谷川に沿って舗装された林道を走ること3q程で西俣谷の出会いに着き、河原の開けた所に車を止めた。
雨の心配もあって、とりあえず雨合羽の下だけ履いて出発。まず大谷川を渡渉するということを前から聞いていたが、丸太を半切りした橋が架けてあり難なく渡ることが出来た。後日改めて来た時は、この丸太橋は数m流されて移動していた。
取り付きの登り口から尾根を登り詰める。意外にも刈り込みがされており、急登にもかかわらず歩きやすかった。この刈り込みは平成17年1月の町村合併の前に、砂防ダムや堰堤を作るための作業道として測量するかたわらに整備されたと言われている。所々にテープが巻いてあり、迷うこともなく枯れた笹、倒木、刈り込まれた草木を踏み越えていく。
額に滴る汗を拭きながら、途中着ぶくれした上着を脱いで一服。その時ヒルを発見し、以後休まず登り続ける。樹木もスギからブナに変わった頃、かっての坂内・藤橋の村境稜線に出た。稜線は太く刈り込まれているので、アッという間に1075mのピークに到着。それでもこれまで3時間以上歩いている。
いったん下り、鞍部から緩やかに登る。尾根筋がやせて笹に変わってくるといよいよ本峰への登り。所々咲き残っているシャクナゲが顔を出して周りを明るくしてくれるが、かなりの急登である。最後の所は背丈まで伸びた笹を手で掻き分けながら、道らしくないところを進む。急なところは切り株や引っ張っても切れそうもない草木を掴みながら登った。
視界が透けて見えて、それもこれも最後と思われる頃漸く頂上に着いた。しっかりと三角点に手を触れる。時間にして約4時間、よくここまで来れたなと思う。
恒例の万歳三唱と休憩だが、下りを考えて20分ほどで帰り支度にかかる。ここで、同じルートを下るのも考えものだと思い、「以前登ったルートを下ったらどうか」と提案したが、結果的に同じ時間がかかってしまった。大きく一周することになり、今までやったことがないので不安だったが反対方向へ下り出した。
途中の小ピークの小蕎麦粒までは最近あまり登られていないようで、ネマガリダケを掻き分けシャクナゲの枝を踏み越えながら下っていく。小蕎麦粒山からはさらに急な下り。シャクナゲの群生の間を前後左右に身体を揺すりバランスをとりながら下っていく。前日の雨にたたられ、伸び尽くした枝葉で衣服はずぶ濡れ。最後の下りではロープに頼らず足指で踏ん張りながら下る。やっとのことで沢に到着し、渡渉して林道に立つことが出来た。ところがこの林道は名ばかりの廃道で、僅か30p程の道幅が延々と続く。2時間程かかって漸く車止めに着いた。
着替えしていると、手首の奥から少量の血が出ているのでびっくり。どうもヒルが服に付いているようだ。目にしたのが3匹、とりあえず着替えて帰り支度をする。家に帰ってシャツやズボンを振っていたら、さらに数匹が洗濯機の前にポロリ、大変なお土産山行であった。 [高木基揚 記]
[日 時] 平成20年5月25日(日)
[場 所] 岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内広瀬
[参加者] 7名
[タイム] 道の駅「星のふる里ふじはし」7:05〜7:14=林道車止め7:36〜7:52−蕎麦粒 山11:59〜12:20−林道取り付き14:07−車止め16:16〜16:32=道の駅「星の ふる里ふじはし」16:55(解散)
[地 図] 1/20万;岐阜 1/5万;横山 1/2.5万;美濃広瀬
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08年5月25日蕎麦粒山頂上三角点を囲んで |
最初の渡渉 |
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藪漕ぎ |
林道へ降りる最後の急下降 |
写真提供 後藤 允さん
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