支部合同懇親山行
城 山(七尾城址)(300m 三角点なし) 今年度の五支部合同懇親山行は石川支部の担当で、山は国指定史跡七尾城址のある城山。高々300mの山で登山というより史跡巡りだなと思い、前山として白木夫妻と石動山に登った。ここは、かつて北陸の比叡山と呼ばれる程栄えた山である。本峰に三角点はないが、東方1.6qに一等三角点があるのでそこを目指す。地図に登山道が記されていないので、南側山麓道路の適当なところから取り付く。薄い藪の中を適当に登っていくと途中で道に出くわし、30分ほどで頂上。蔵王山といういかめしい山名看板が掲げてあった。 時間的に余裕があるので、石動山まで縦走することにする。道はなく植林帯の笹藪を分けるが、地形は複雑で意外に面白かった。途中で林道に出たので白木さんは車を取りに戻り、私は奥さんとその先の遊歩道を通り頂上へ。食事をしているとほどなく白木さんも到着して、一緒に下山、今日の宿泊地に向かう。宿泊地の国民宿舎「能登小牧台」は七尾湾に突き出した台地の上に建ち見晴らしが良い。5支部から60余名が参加していたが、京都支部からの参加が少ないのが淋しい。今年も本部から神崎副会長が参加され、本部の改革の動きなどを説明していただいた。 懇親会は神崎副会長の乾杯で開会し、例年通り ▲お二人の名誉会員による万歳三唱 の賑やかな宴である。今年の出し物は琴の伴奏で石川支部会員による尺八演奏。昨年の富山支部同様なかなかのもので、来年は岐阜支部担当だが、次第にプレッシャーがかかってくる。最後に京都の斎藤、岐阜の高木の両名誉会員の音頭で万歳三唱しお開きとなる。 翌朝は8時出発でそれぞれが20q南の登山口に向かう。グループに分かれ集落の中を過ぎて、昔の大手道を登り出す。尾根筋を通る道で、両側は谷に向かって鋭く切れ落ちている。さすが上杉謙信も手を焼いた難攻不落の城だと納得する。頂上近くになると西の丸、二の丸、本丸と現れてくる。石垣がしっかり残っており、建物が無いだけで当時の姿のままである。 本丸広場で食事し全員で記念撮影の後、グループ毎に地元のボランティアの案内で、史跡巡りしながら下っていく。複雑な地形を利用した石垣や抜け道が次々と出てきて、飽きることがない。途中で登ってきた大手道に合流し、それを下って駐車場に着く。来年岐阜での再開を約し解散したが、さすがに日本3大山城の1つといわれるだけの価値のある史跡であった。我が故郷能登の歴史の重さを実感し、満足して帰途についた。 [堀 義博 記]
[日 時] 平成22年11月13日(土)、14日(日)
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