玉山登頂 (3,952m))
中華民国山岳協会「玉山開山式」招待山行

2010.3.4日〜9日 日本山岳会合同の玉山開山式典及び玉山登頂に行って来たので報告する。

3月5日(金)
 台北空港に東京他各地からの参加者21名(吉永隊長)が集合し中華民国山岳協会の役員ガイド
 等関係者の出迎えを受け、マイクロバス2台に分乗し沙里仙のホテルに泊まる。
 夜高砂族の伝統ある歓迎のセレモニーが有り歓待を受ける。
3月6日(土)
 上東甫駐車場にて玉山開山式 国立公園で有り国の高官や警察関係部族の人たちに全国の山岳
 協会の代表者、学生など数百名の参加で高砂族の伝統ある踊りや太鼓、笛等で賑わしく開催された
 日本からは日本山岳会を代表し吉永隊長が挨拶、その外ドイツ、イギリス、アメリカ等海外の代表から
 も挨拶が有った。昼食後塔塔加(タタカ)の登山口から我々を含めて90人の登山者が入山した。
 登山口から8.5km(標高差766m)の整備された登山道を登る6時間弱で排雲山荘(90人収容)
 きれいな小屋で水は谷川からホースで引いて有り、トイレも簡易式の水洗できれい、食事は台湾の
 山岳協会の方に作って頂いた。
3月7日(日)3時半起床軽い食事の後4時20分出発、玉山(3,952m)頂上まで2.4km標高差550
 m所要時間4時間(通常は2時間30分)小屋を出て間もなく雪が所々に有る。森林帯を出た辺りから
 完全な雪の登山道全員がアイゼンとピッケル歩行となる。鉄の鎖が垂直に伸び辺りは右折れの登山
 道があるようだが氷雪でかなり危険のため鎖に掴まり直登する。そのあとガレ場のトラバス気味の所
 はガレ場のため鉄のトンネルが作って有るが土砂と氷雪のため這うように抜ける。その上は氷結した
 雪道になり、中は完全なアイスバーンで斜度30°以上ありジクザクの登行だがアイゼンを利かしての
 一歩一歩の歩行で後続は立ち止まる事多く、下を見ると恐怖に感ずる。その時突然100m位下でザー
 とガレ場の音がしたので振り返ると1人滑落して行くのを見る。(個人で随行していた台湾の登山者で
 死亡した62歳、4本爪のアイゼンだったと後で聞く)頂上に着いたときは快晴で周辺の峰々がよく見えた
 8時40分下山開始。滑落事故も有り補助ザイルでフイックスして慎重に下山する。11時に排雲山荘着
 1時間の休憩で準備された食事をとり荷物をまとめて下山する。登山口へ16時40分着
 迎えの専用車で駐車場に戻りマイクロに乗り換え水里の玉山国家公園管理事務所の施設で泊る。
3月8日(月)
 日月譚(湖)へバスで登り、孔子廟を視察し台北に戻る。夜は台湾山岳協会主催の盛大なレセプション
 に招かれ、一人一人謝長顕理事長から玉山登頂証明書を全員(21名)に頂く日本からは別便で神崎
 副会長がお出でになり挨拶された。
3月9日(火)
 7時ホテルを迎えのマイクロバスで台北空港に向かい東京組を見送り、白木さんと2人は2時間遅れて
 帰国した。
 この度の山行は急な連絡で岐阜支部からは2名の参加であった。白木さんは2回目の玉山だったので
 色々お尋ねし、現地では日本語の達者な「林 哲全」氏の同行で困る事は無く、思い出い残る山行で
 有った。                                     (報告;11770 中島)

   以下同行した竹花さんのブログより借用したものです

台湾 玉山登山
中華民国山岳協会の厚意により、玉山(3952m)開山祭と登山に招待された。

・期間:2010年3月5日〜9日
・メンバー:JACの14名とアレンジをして頂いたOさん隊7名の、日本人計21名

・行程
3月5日:成田--->台北--->東埔温泉 布農族(高地の先住民族)の開山祭参加 (一部参加者は中部空港と福岡空港より)
3月6日:東埔温泉--->上東埔にて玉山開山祭--->塔塔加登山口--->排雲山荘(3402m)
3月7日:排雲山荘--->玉山(3952m)--->塔塔加登山口--->玉山国立公園管理処
3月8日:玉山国立公園管理処--->観光をしながら台北へ。夜は中華民国山岳協会の人たちの歓迎パーティ
3月9日:帰国

<登山概要>
3月6日
  東埔温泉から上東埔駐車場にバスで行き、玉山の開山祭に参加した。途中、2009年の台風による大水害の爪あとがいたる所に残る。
崖崩れや、道路や住居の埋没・流出の状況はすさまじく、復旧にはまだ相当時間がかかりそうである。しかもこのエリアは1991年の神戸
地震より規模の大きい大地震の震源地であった。
  開山祭には、日本以外にもスイスやグァテマラからもゲストが参加。全体の人数も2〜300人と、結構大掛かりな式であった。時間を
気にしながら切り上げ、塔塔加登山口まで車で行く。
  塔塔加からの登山道は整備され歩きやすい。排雲山荘までの途中には立派なトイレ小屋が数箇所ある。天気も良く玉山南峰の眺め

がよい。あいにく登山道からは玉山主峰は見えない。始めのうちは伐採や火事により樹木は少なかったが、山荘に近づくにつれ大木が目
立つようになった。メンバーの体力にはかなり差があり、遅い人に合わせたため予定より1〜2時間遅れて18時頃排雲山荘(3402m)に着
いた。なお、メンバーにはベテランが多く、ザックの後ろにつけたピッケルが昔の長いものばかりで驚いた。歴史を感じるが、最近の短い
ピッケルを持ち、アルパイン系をやる人は少ないようだ。
  排雲山荘は立派できれいな山小屋である。宿泊定員は90名弱。予約をしておかないと泊まれないし、周囲の幕営も禁止。自炊だが
我々の場合は付き添いのスタッフが作ってくれた。気温の情報がなく心配だったが、夏用シュラフとシュラフカバーで十分だった。寒いと
困ると思い、羽毛服等、色々と持っていったが不要だった。

3月7日
  山荘の明け方の気温は4度Cくらい。朝が早い人が多く、予定より早くから準備でガサガサし始め起こされた。簡単な朝食後、4時20分
頃出発。玉山としては今シーズン初めての登山の日である。3500m付近から雪があり、3600m付近でアイゼンをつける。3700mくらいから
は夏道や鎖は雪に埋まっており、かなり急な雪の斜面となる。慣れていない人もあり、ザイルがないとやや危ないが、ガイドはお構いなく
登っていく。引き返そうという声もあったが、日本人ステップを切りながら登る。やがてひょこっと頂上に出た。8時10分着。頂上付近は風が
強いと聞いていたが、この日は穏やかで寒くもない。朝方は曇っていたが、晴れて周囲の山の見晴らしも良かった。
 ところが、頂上で最後尾の人たちが来たら、後続の別パーティの台湾人がスリップして滑落していったのを目撃したとのこと。雪の急斜面
と急なガレ場が続くため、とても助かるまい。急に暗い気分になる。技術的に心配な人もあり、下山時には少しあった細いロープをフィックス
しながら下った。
 下山の途中、台湾人の親子二人連れがおり、娘が進退窮まり怖くて降りられないから助けてくれと言われた。お父さんのアイゼンも靴に
合わずにゆるゆるでテープで止め直していた。娘を助けながら下ろした。途中、ルンゼの雪に遭難者の血が所々飛び散っていた。救助隊
の人にも何人か会った。排雲山荘に着くと、遺体は発見され収容されてくるとの情報があった。翌日の新聞にはこの事故が報道されていた。
遭難救助や遺体収容の手際も良いようだ。普通はヘリが出動するようだが、この日は午後から曇ったため、ヘリが飛べず、人力による捜索
・収容となった。

  玉山登山は無雪期は簡単と思われるが、雪がつくと結構傾斜がきついため注意が必要である。ましてや台湾人は雪に慣れていない人が
多く、かなり危険であろう。
  なお、玉山は許可とガイドつきでないと登れないが、無許可で登る人もいるようだ。しかし山荘の定員をオーバーすると泊まるところはない。
 今回は中華民国山岳協会のフル・アテンドで至れりつくせりであった。また、多くの人に知り合うことができた。感謝!