第5回今西錦司記念山行 小 谷 山 ( 494.5m 三等三角点 ) 小谷山には『小谷城跡』を含む戦国の山城史跡が有り、城の遺構など歴史が刻まれた山である。昨年(2011年)NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国』の舞台となった所で、今年になつてから見学者は激減したが、『戦国ガイドステーション三代の里』や『小谷城戦国資料館』の施設が残されている。 国道365号線沿いのバス停、小谷城跡を右折して直進。皆さんはガイドステーション駐車場に集まっていたが、すぐ上の駐車場に移動し荷物を整え登山開始。前方に林道が見えるが、入口の右手に昔の『大手道』の案内板があり、ここから入る。 雑木林の中やや急な登り5〜6分で、出丸の標識が見えてくる。『出丸跡』を見ることもなくやや下がると、林道に出る。下見に来たとき、木々に赤いテープを付けていたのでガードレールに沿って道路を横切る。ガレ場の道だが道幅は広く、再度林道に出会う。ここが望笙(ぼうしょう)峠である。やや広くベンチが置かれ、四方の視界が良いのでこの峠から竹生島や遠くの湖北一帯が一望できるはずが今日はいまいちである。 この峠から登山道に入る。道の両側にはツツジ・山茶花などが生えており、丸太の階段で巻き道のない急登の連続で『金吾丸』の分岐にさしかかる。今度は巻きながら寄り道をせず『番所跡』に出た。下からの林道がここで終点となっていて、ここで合流。車でも登つてこられるようだ。数台おける駐車場になつており、小谷城跡案内図の看板がある。かっては登城者の検問所があった所で、お城の領域に入った。 番所跡を過ぎると、『御茶屋跡・御馬屋跡・首据石』へと進む。やや離れた所に『赤尾屋敷跡』がある。ひっそりした平地に天正元年(1573年)9月、浅井長政が29歳で自刃した碑が建っていた。もとに戻って『桜馬場跡』はロケの中心地で名の通り桜の大木がある。城内最大の曲輪(くるわ)跡を経て、城があったと推測される場所には夏草が生い茂り、南側には石積みしか残されていない。遠い歴史の時間を感じさせる。 小谷城主要部の最高地に位置する『山王丸跡』に着く。めざす小谷山が見えてきた。山王丸から尾根を少し下がると、平らな『六坊跡』がありその先の清水谷と上山田の分岐に出る。ここから山頂をめざすが急な登りで、しかも木の階段で数えてはいないが、かなりしんどかった。20分強で階段登りがなくなると大嶽城(おおずくじょう)跡で、ここが小谷山の頂上である。平坦な広場で三角点はすぐ分かった。見晴らしは樹木のせいで余り良くなく、しかも空模様があやしくなり小雨が降り出した。万歳三唱を終えて場所をかえ食事をするために六坊跡へもどった。 帰りは、六坊跡分岐にもどり大手道と分かれて清水谷に降りることにした。谷間は狭く薄暗い鬱蒼とした樹林帯を下る。左右に大きな岩肌が露出して、大手道とまた違った姿をみせている。家臣の屋敷跡を過ぎると車道にでる。人通りも少なく、まさに静かだ。徳昌寺跡の石柱と案内板を過ぎても屋敷跡がみられ、今は草で覆われた姿だが、かつて戦国武士達が往来したこの清水谷はどんなに繁栄していたことかと思う。戦国資料館を右手に見ながら左前の山沿いの道を経て、戦国ガイドステーションが見えてきた。朝集合した駐車場で解散。今回遠方から見えた皆さんには満足されたでしょうか。ぜひ次回も。まさに歴史散策の山行でした。
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