五支部合同懇親山スキー 大 品 山(1404.0m 三等三角点) 26日、白木さんと2人で会場の立山国際ホテルに向かう。受付で会費を払い、名札と各種資料が入った封筒をもらう。その後直ぐに温泉に入り、富山支部長の好意の差し入れである缶ビールおつまみを湯上りにご馳走になる。懇親会開始前に明日の行程説明があったが、口頭なので頭に入らず、またぺんを持っていないのでメモも出来なかった。できればペーパーで渡した方が良いと思う。 懇親会は幹事の進行で18時から始まる。最初に富山支部長の挨拶があり、宮本福井支部長の音頭で乾杯。それから楽しい宴となり、2時間ほどで流れ解散となった。その後、持ち寄った酒を各部屋に持ち帰り、おおよそ11時半頃まで交流を深めた。 翌27日、立山山麓スキー場のゴンドラを利用して稜線へ登る予定であったが、強風のためゴンドラは停止し運行の見込みがないことから、ユートピアゲレンデのリフトを3本乗り継いでゴンドラ終点近くの稜線へ上がる。リフトを降りるとかなり強い風が吹いており、風を避けられる処でシールをつける。ゴンドラ山頂駅(1160m)から班単位の行動となり、われわれ岐阜支部は関西支部とともにA班に組み入れられたので、最初に出発する。 ゴンドラ山頂駅から瀬戸蔵山(1320m)までワンピッチ。リーダーの永山氏はこのあたりを庭のように熟知しており、かなり早いペースである。尾根筋は割合狭く、樹木もかなり立っており、樹木の間を歩くといった感じだ。また、硬い雪の上に昨日、重い湿雪が15p位積もった状況。空は高曇りで、尾根筋からは埋蔵金伝説で有名な鍬崎山の秀麗な三角錐が望まれる。立山本峰はガスの中で、浄土山から右に龍王岳、鬼岳、獅子岳が見られる。剱もガスの中だけれど、正面に奥大日が一段と大きく望まれ、その左に毛勝三山(猫又、釜谷、毛勝)に続いて駒ヶ岳、僧ヶ岳と展望が広がった。 同じA班となった関西支部の阪下幸一さん、悦子さんご夫妻は、1990年6月双六岳で行った全本登山大会に来ておられたと後から聞く。阪下姓はあまり聞かず珍しいのと地域的に関西だったと記憶していたので、もしやと思って尋ねたらその通りだった。その時は木下喜代男氏がリーダーで、現飛騨山岳会会長である舩坂不二夫氏と小生がサブでお世話したと思っている。もう21年も前のことなのに、奥さんの悦子さんは昨日のことのようにあの時の双六岳頂上からの滑降は良かったと感激しておられた。 大品山から鍬崎山への山スキーも良いとチーフの永山氏談。日帰りは時間的にきつく、テント持参になるとのこと。大品山頂上手前にやせ尾根で急斜面のところがあり、富山の人はサッサとスキーを担いでクリヤーされた。こちらは折角だからとシールを効かせて登り切る。緩やかな斜面を抜けると大品山に到着。 大品山より少し上部まで登りシールを外し、滑降の準備をする。滑降する尾根は右側は崖になっており入ってしまうと出られなくなるということで、右へ寄りすぎないことを厳重に注意される。全体にやせ尾根に加えて樹間が狭く、滑降面を探りながらの滑降。発電所の調整池右側は狭く調整池に落ちたら絶対に助けられないということで、調整池上部から左に巻き安全なところ通過する。調整池下部を登り返して、一路滑降する。一部、調整池からの鉄管路に沿って下る狭いところが有り苦労させられた。ここからあわすのスキー場上部に出て後続を待つ。対面左に来拝山、大辻山が黒っぽく姿を見せていた。後続がなかなか来ないので我々だけで、あわすのスキー場を左へ左へとトラバースしてゴンドラ乗り場へ着く。 今回の山スキーは班単位での行動となり、我々A班は最初に出発したということもあり、スキー中他の班と交流することは無かった。下山後、全員が集まるのを待つことなく解散して帰途についた。なお、スキー山行の5支部は懇親山行の5支部と違い、関西・京都・福井・富山・岐阜である。当初、関西・京都・福井でやっていたが、すぐ担当が回ってくるのため新たに富山・岐阜を入れたという次第である。石川支部が入っていないのは山スキーをする人がいないためとのことであった。来年は早速岐阜支部担当ということなので、飛騨の方で考えようと思っています。
[横田昭夫 記] [日 時] 平成23年2月26日(土)、27日(日)
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