今西錦司氏の略歴 |
日付 |
事項 |
1902.1 |
誕生 |
1915.4 |
京都府立京都第一中学校入学 |
1920.3 |
京都府立京都第一中学校卒業 |
1921.4 |
第三高等学校(理科)入学 |
1925.3 |
第三高等学校(理科)卒業 |
1925.4 |
京都帝国大学農学部入学 |
1928.3 |
京都帝国大学農学部卒業 |
1928.5 |
京都帝国大学大学院理学部進学 |
1929.2 |
陸軍幹部候補生 |
1931.3 |
陸軍工兵少尉に任官 |
1933.3 |
京都帝国大学理学部講師嘱託 |
1934.12 |
京都帝国大学白頭山遠征隊 |
1936.5 |
京都帝国大学理学部講師 |
1938.8 |
京都帝国大学内蒙古学術調査隊 |
1938.12 |
京都探検地理学会 |
1939.6 |
興亜民族生活科学研究所所員 |
1939.12 |
理学博士(京都帝国大学) |
1942.3 |
北部大興安嶺探検 |
1944.4 |
蒙古善隣協会西北研究所所員 |
1946.6 |
京都帝国大学理学部講師 |
1948.2 |
自然史学会発足 |
1948.4 |
京都大学理学部講師(有給) |
1950.4 |
京都大学人文科学研究所講師 |
1952.8 |
マナスル登山隊 |
1955.5 |
京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊 |
1956.1 |
日本モンキーセンター設立 |
1958.2 |
モンキーセンターアフリカ類人猿学術調査隊 |
1959.6 |
社会人類学研究部門教授(京大人文研) |
1961.1 |
京都大学アフリカ類人猿学術調査隊 |
1962.4 |
京都大学理学部自然人類学講座併任教授 |
1963.6 |
京都大学アフリカ類人猿学術調査隊 |
1964.9 |
京都大学アフリカ類人猿学術調査隊 |
1964.9 |
京都大学人類学研究会 |
1965.3 |
京都大学停年退官 |
1965.5 |
岡山大学教養部教授 |
1967.4 |
京都大学霊長類研究所設置 |
1967.6 |
岐阜大学学長就任 |
1972.10 |
日本山岳会岐阜支部 初代支部長 |
1973.5 |
岐阜大学学長退官 |
1973.5 |
日本山岳会会長就任 |
1974 |
連載・対談今西錦司の世界(アニマ) |
1977.4 |
日本山岳会会長退任 |
1978.9 |
一千山のしおり(私家本) |
1979.11 |
文化勲章受賞 |
1982.4 |
千三百山のしおり(私家本) |
1984.4 |
千四百山のしおり(私家本) |
1986.4 |
千五百山のしおり(私家本) |
1987.12 |
最後の山行(1552山目) |
1992.6.15 |
死去 90歳 |
|
1956年(昭和31年)54歳 |
岐阜支部誕生の記録
発起された日 ;1972年(昭和47年)10月23日
場所 ;岐阜市役所南角「そごう」二階ホール
誕生の趣旨 ;日本山岳会岐阜支部設立趣意書
脈々として連なる美濃の山々、峨々として聳える飛騨の峻険、鬱蒼たる森林に続く木曾の山懐。
岐阜県は山国であります。
このたび、この地に集う我々日本山岳会会員一同は、会員一人一人が登山の愛好者であるとい
う自覚のもとに、より多くの愛好者を生み出す組織をめざし、日本山岳会岐阜支部を設立することに
なりました。我々は本支部における多くの交わりを通じて会員の厚誼を深め、これを機縁として少し
でも山へ踏み入る機会を増したいと考えております。
同時に、私たちはこの自然と交わり続けるためには、山を囲む自然そのものを保全しなければなら
ない時代に立っております。登山を好み、自然を愛する我々は本支部の設立によって、この自然を
保全する責務の一端を担う事が出来るのではなかろうかと密かに期するものであります。
以上、日本山岳会岐阜支部は、登山の愛好者と自然保全の実践者を一人でも多く糾合し、お互い
に激励し、健全な登山を押し進めるために、同あい集まって設立を期するものであります。
1972年(昭和47年)10月23日
日本山岳会岐阜支部設立発起人
代 表 今西錦司