秋期懇親山行
小春日和の野谷荘司(U△1797.29m)・妙法山(V△1775.59m)
昨夜の二次会で、孫の話も出る年頃の人たちは、山、山、山の話題が尽きず楽しい一時であった。基揚さんは所用で帰宅する。
朝、早田支部長と別れ大窪沼から登山開始。標高800mあたりから若いブナ林が始まり、黄色に染まり始めたブナ林のヒンヤリした冷気は、昨夜遅くまでの宴の余韻を現実に引き戻してくれた。登り始めておよそ1時間、額に汗が浮かぶ頃小休止をとる。この辺りはブナも大木となり、樹冠の下の紅葉は真っ赤に染まり言葉では言い表せないくらいきれいだ。樹の隙間から三方岩岳が朝日に照らされ白い岩肌を見せているが、日照り続きのためか霞がかかってコントラストがよくない。
ブナ林から潅木に代わる頃、妙法山まで行く組はギアチェンジし、スピードを上げる。先頭が早くて、ついて行くのが相当にきつい。尾根道は急登で前の人の足元ばかり見ているが、たまに、丈の低いミズナラが真っ赤な葉をつけて目に飛び込んでくる。また、何という木か解からぬが、道の上を横断していて、下を潜るのが億劫である。尾根も緩くなると潅木の背も低くなり、前方にスラリとした赤頭山が見え出した。尾根は痩せてきて潅木も僅かとなり、道は痩せ尾根の岩道と代わり慎重に登る。
赤頭山頂上は潅木もなく360度の展望が開け、ほてった体に谷底からの風が吹きぬけ、ホッと一息つく。仰ぎ見る野谷荘司は紅葉をはべらせているが頂上辺りはガスに包まれている。吊尾根のような痩せ細った急な尾根を谷に落ちないよう慎重に登り、やがて三方岩岳からの縦走路に着く。振り返って赤頭山を眺めると、森本先生、中島さん、浅野さんのゆっくり組が頂上に頭を出すところであった。
分岐から10分ほど緩やかな登りで野谷荘司に着く。尾根に沿って南側は谷底まで崩落が続いていて、西から北側は低木状のタケカンバ、コメツガなどの潅木が茂っている。視界は下から見上げた時はガスで包まれていたが、かなり遠くまで見えるようになってきた。武田さんは帰り道が長いからと下山して行く。休みもそこそこに先を急ぐが、村松さん、鈴木さんの韋駄天の二人は走るように尾根道を下って行ってしまう。緩やかになった尾根道は、崩落が続く左側の谷に気をつけていれば安心であるが、鞍部に下りる辺りは急で、帰りには登らなくてはと思うと気が重い。二つほどアップダウンを繰り返し、池塘が広がるもうせん平で一服。秋も終わり、辺り一面黄色の絨毯となっている。12時迄に妙法山に登らなくてはと早々に出発。二つほど山越えがあると覚悟して進むが、期待に反して道は山の斜面を迂回して行くではないか。でも、最後の鞍部からの登りはなかなか足が上がらず苦しい。斜面を喘いで登り尾根にでると、目前に三角点の標石が目に飛び込んできた。
いつしかガスも上がりはるか三方崩山から白山、笈ヶ岳、大笠山と眺望を楽しむ。鈴木さんは3時までに帰らなくてはと早々に帰途に着く。われわれ5人は十分山頂を堪能して帰路につく。帰り道は勝手知っている道と、飛ばして下った。大窪沼に着き「エッ?」。すでに下山して帰ったはずの、ゆっくり組の車がまだ駐車しているではないか。これは大変な事になったと思った。途中で追い越してきた登山者が丁度下山してきて、わけを話してみると、「その方達なら、三方岩岳に回った」との事。中島さんがついているから大丈夫と、白山スーパー林道ゲートに回ると、丁度中島さんが連絡のため先に下山してきた。ゆっくり組は時間的に余裕があるから妙法山組と同じくらいに下山したらよかろうと、野谷荘司を11時40分に出発し、三方岩岳経由で下山開始。13時に三方岩岳、15時に大窪沼の予定だったが、途中森本先生の足が遅くなって3、40分遅くなってしまった。
[ 今峰正利 記 ]
[ 日 時 ] 平成18年10月22日(日)
[ 場 所 ] 岐阜県白川村
[ 参加者 ]今峰正利、鈴木寛人、高橋脩、福士節子、村松哲彦、他1名(以上妙法山組)浅野勝義、中島眞一、森本市郎(以上三方岩岳組)
武田幸男(野谷荘司岳まで)高木基揚、早田道治(以上山行無し) [
タイム ]
21日:平瀬温泉「ふじや旅館」17:00時集合。
22日:平瀬「ふじや旅館」7:05=大窪沼7:33−三方岩岳分岐10:06−野谷荘司10:18−もうせん平10:55−妙法山11:44〜12:25−もうせん平13:14−野谷荘司13:54−三方岩岳分岐14:08−大窪沼15:30(16:00解散)
[ 地 図 ] 1/5万:白川村
1/2.5万:鳩ヶ谷、平瀬、中宮温泉、新岩間温泉
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