《これまでの生活と家を建てるきっかけ》

はじめに…私達は主人の両親のお家の隣に建てられた『離れ』に住んでいました。『離れ』の間取りは1F(床の間付和室8畳・L型広縁・10畳応接間・トイレ・0.75坪の浴室・1坪の脱衣所・4畳程度のキッチン)2F(8畳洋間が2部屋)です。私達夫婦は結婚当初、2Fの洋間2部屋を新居として使用し、食事は母屋にて両親達と共にしていました。しかし長男を直ぐに妊娠。ベビー箪笥やベビーベッドが増え2Fの2間だけでの生活はかなり手狭になりました。そこで子供が小さいうちは狭くて急な階段は危険も多いので1Fの応接間(今はこのような部屋は必要ないですよね…(^^ゞ)をリビングとして使いたくて模様替えをしました。それから7年ぶりに長女を妊娠。しかし切迫流産の危険の為入院というアクシデントの見舞われ、退院後の食事の準備等に母屋への往復が負担に感じ、この時期より私達の生活の全てが『離れ』で過ごす様になりました。

 その後、長女が生まれてから生活は全て元応接間の10畳の部屋でする毎日でした。子供達が成長するにつれ更に部屋は手狭になっていきました。更に機能的収納が無い為、毎日常に片つからない家にストレスを感じ思い切ってリフォームを考えました。両親もリフォームに関しては快く承諾してくれました。そこでいつも節目にはお世話になる鑑定師の先生にその改築に良い日取りをお伺いに行きましたところ、その先生は『離れにお金をかけるより平成15年2月に母屋を新築する事が家族全員に良い。御主人、ご子息の為にも家相の良い母屋へ建て直してはいかが?』と言われました。思ってもいなかった先生のアドバイスに動揺…。しかし、簡単に建替えるなんて言えません。何よりも大工である叔父が初めての仕事でもあったこの母屋には37年の思い出もあります。両親に建替えを話す事はやはり苦悩でした。しかし、よくよく考えてみると…いつかは建直す事になるだろうし、ローンの問題、子供達の環境…冷静に考えてみてもこの年回りは私達夫婦にとってタイミングなのかもしれないと感じました。そして反対覚悟で両親に相談したところ、意外にも一番の理解者は主人の父でした。それで2世帯住宅への建て替えの話を進めていましたが、どうも両親にとってはそれがこれからの老後を過ごすのに快適生活とは限らないようで、快適生活の価値観もそれぞれである事がわかりました。それで話し合った結果、両親が『離れ』に、私達が母屋へと住み替わる事となりました。まだ、入れ替わるのは早すぎるから…という不安もありましたが今から両親より色々と教えて頂く事も良い事ではないかと思い、私達は両親も賛成してもらえるお家を建てようと決心しました。
これが私達の家(母屋)造りへの始まりました。平成12年初春の頃でした。

《まずは地元工務店巡りから…》

当初予定していましたリフォームは仕事先のサロン(美容室)の建築を手掛けた設計事務所でお願いする予定でした。しかし母屋の建替えと事柄が大きく変更。リフォームのイメージと母屋のイメージは違います。母屋としての品格、『離れ』との調和、信頼と建築後のメンテナンスがしっかりと整っていることが私達夫婦の新たな条件でした。そこで改めて色々な角度から地元工務店を中心に資料を取り寄せました。

当時はやはり在来工法、2×4工法が多く中にはOMソーラー等を売りにしている工務店もありました。しかしどこを見ても話を聞いてもこれといった魅力は感じられずピンとくる工務店はなかなか見つかりませんでした。又、中にはこちらの話もあまり聞かないで『任せてください』と言い切られ返って不安を覚える設計事務所もありました。結局、見学する度に工務店や設計事務所の候補は消えていき、主人の姉が某ハウスメーカーで建てたという事もあって初めてハウスメーカーへの関心も出始めました。しかし、当時はバブルが崩壊した経済の中、正直ハウスメーカーへの不安はありました…。

〜SwedenHouseとの出逢い〜