岐阜の債務整理の専門サイト。司法書士伊藤 謙一について紹介。岐阜県司法書士会所属。

過払い金を取り戻すなら伊藤 謙一法務事務所
司法書士 伊藤 謙一

 昭和52年12月6日生まれ

 平成2年  岐阜市立 茜部小学校卒業
 平成5年  岐阜市立 加納中学校卒業
 平成8年  岐阜県立 羽島高等学校卒業
 平成12年 名城大学 法学部法学科卒業   
 平成14年 司法書士国家資格取得 

     岐阜県司法書士会 第544号
     法務大臣認定番号 第320063号

・岐阜県司法書士会 理事(平成28年〜現在)
・岐阜県ギャンブル等依存症対策協議会 委員(令和2年〜)
・日本司法書士政治連盟岐阜会 副会長(平成28年〜31年)
・岐阜県司法書士会岐阜支部 支部長(平成28年〜31年)
・司法書士会岐阜支部 副支部長(平成25年〜28年)
・司法書士会岐阜支部 理事(平成17年〜24年)

司法書士 伊藤 謙一



 岐阜の司法書士として事務所ホームページを開設し、信用と実績を重ねてまいりました。ご安心してご相談下さい。全国からご依頼があります。愛知、三重や遠方県からも当事務所に訪れて来ます。


 弊所では、代表者の司法書士が、ご相談から業務終了まで一貫して担当します。


近影
 HPで使用している画像は、少なくとも7年以上前に撮影したものです。中には10年近く経過している画像も・・・。
 以下が近影です。(令和4年5月時点)

   


依頼人の声  これまでにお受けした地域  当事務所の実績

執務姿勢(司法書士伊藤謙一の執務姿勢の一部をブログでアップしています)

当事務所の社会貢献

女性の依頼人も多数です。女性も安心です。子供の為にまずは相談を!

活動風景

対外活動等

・岐阜県精神保健福祉センター「依存症家族教室 講師」 ギャンブル依存症に伴う借金への対応 R4.1.7 
・真宗大谷派長栄山福證寺 第3回雨安居「人生の終着点〜今できること、考えること」パネラー(参加者92名) 30.6.17
・司法書士会岐阜支部法務研究委員会 講師「実践、訴訟代理の実務」 29.8.18
・名税協ニッセイ代理店推進協議会岐阜南地区・大垣地区「税理士に知って欲しい相続放棄の実務」講師 26.10.6
・税理士法人GP会計事務所主催の「遺言と相続セミナー」にて講師 25.7.11
・岡崎信用金庫本店にて役員・幹部行員向け、約80名の講演会にて講師(金融教育)24.3.6 
・司法書士会岐阜支部 24時間電話法律相談会の運営責任者(NHKの取材をうけました)平成21〜
・司法書士会岐阜支部 消費者教育担当理事としての活動(平成20年度〜)
・全国一斉多重債務者相談ウィークに参加
・岐阜県県民相談センター クレサラ110番 (平成19年6月9日、NHKの取材をうけました)
・第4回多重債務者対策本部有識者会議(岐阜県の取り組みについて協力しました。)
・岐阜県 市町村消費者行政担当者研修会 講師
・岐阜県県民相談センター クレサラ110番 (平成18年12月16日)
・岐阜県立羽島高校 消費者教育講師
・岐阜新聞「司法書士なんでも相談」(平成18年12月7日・14日掲載)
・岐阜県消費生活条例の改正案に対し、意見書を提出
・岐阜県消費者問題行政連絡会議全体会議 講演 (中日新聞朝刊に掲載されました) 
・岐阜県・弁護士会・消費生活センター・県警などとの懇談会に参加
・岐阜県消費者生活センター クレサラ110番に参加
・高金利引き下げ大集会in名古屋に参加
・名古屋税理士会(岐阜北支部) 講師 (債権回収に関する実務知識)
・岐阜新聞「司法書士なんでも相談」執筆(平成18年6月1・8・15日掲載)
・岐阜県司法書士会裁判事務推進委員会研修会 講師
・全青司中部ブロック研修会 講師
・2006年 岐阜県司法書士会会報 「債務整理雑感」を執筆
・岐阜市立岐阜商業高校・私立富田高校・岐阜第一高校 消費者教育 講師  
・簡易裁判所代理関係業務 特別研修チューター
・岐阜市消費生活センター 消費者講演会講師 「自分で出来る少額訴訟」
・岐阜青年司法書士会例会 講師 「個人情報保護法25条と取引履歴の開示請求」
・岐阜県司法書士会研修会 講師 「破産法改正」 

 講師の依頼について
金融機関・役所・企業・各種団体へ金融教育等の講師を致します。
お求めの場合は事務所までご連絡下さい。

 講演・執筆した新聞記事等


*画像をクリックすると拡大されます。

業務について

 所長司法書士の伊藤謙一です。平成16年の開業以来、借金問題に、積極的に取り組んできました。

 
私が借金問題に積極的に取り組むのは、この業務に遣り甲斐を感じているからです。単に債務整理の手続きだけを行うのではなく、依頼人の幸せを考え、申し上げることははっきりと言うようにしています。時には厳しい意見を申し上げることもあります。スタンスは開業以来、一貫して変わりがありません。依頼人が幸せにためにアドバイスを心がけています。

 法律家のHPを見ていると、依頼人を「救う」などの文字を見ることがありますが、「救う」という言葉は、上から目線で「救ってあげる」というように感じてしまい、私にはよい印象がありません。私は、
「一緒に問題を解決する」という認識で業務をしています。


 当事務所では
豊富な実績から相手会社ごとのデータは当然ながら、相手会社の担当者ごとの交渉記録や訴訟対応などの情報をデータベース化しています。実績豊富な当事務所の強みであり、相談時点で相手の対応が一定レベル推測できることが多いです。 

 事務所内において定期的に研修会を行い、個別事案の検討、判例や裁判例や実務の有り方についての研究を行い、質の高い業務を提供できるように心がけています。少数精鋭に育成したスタッフは私の目の届く数名しかいない為、常に私に情報が集まります。依頼人のたらい回しという事態には決してなりません。

 弊所では、一部の狭い範囲の業務しか取り扱っていません。身近な法律家でありながら専門性をもっているのが特性です。時効援用、被告側訴訟代理人、過払い金請求など多く手掛けていますが、借金問題に関連する業務全般について精通しています。

 お陰様で開業11周年を迎えております。たくさんのご評価とご依頼をこれまで頂きました。誠にありがとうございます。今後も皆様のお力になれるように尽力させて頂きます。


 以下はアドバイスとなります。

 常に節約の精神を持って無駄をなくして日々生活することが大事です。お金と人の関係を水と植物の関係に例えると、水が少なすぎては植物は枯れます。だからお金はある程度は必要です。しかし植物に水をやりすぎると植物は腐ります。お金がたくさんあっても人が幸せになるとは限りません。

 幸せは本来、生活のささやかな事柄にこそ見出せるものです。

 「足るを知る」の精神をお持ちいただく事が大事と思います。


《依頼人の幸せのために》

 当事務所では借金問題をその原因から解決する為に任意整理、自己破産、個人再生などの債務整理をして借金問題の解決とともに、生活の改善のために様々なご提案を差し上げることもあります。時には耳に痛いご提案になることもありますがご相談者やご依頼人、そのご家族の為に真剣に情熱をもってお話しさせて頂いておりますのでご理解ください。
 



〜開業20年目を迎えて〜

平成16年の開業から、20周年を迎えました。

正直申しまして20年もよく続けてこれたな、と思います。

ライフワークと思って借金問題に携わってきましたが、過去を振り返ることができるくらいの年数になりました。

私が大学生のとき、新聞やニュースで毎日のように多重債務問題を取り上げられ、社会問題化していました。その問題に興味をもち、何かできることはないかと思いました。

それが司法書士になったきっかけです。

どうして弁護士でないのか?という疑問も持たれると思いますが、当時、司法試験制度が大きく変わってしまい、色々と考えたうえで司法書士の国家試験を選択してそのまま今に至ります。

過払い金請求の案件はなくなりましたが、もともとそれを目的として手掛けてきた仕事ではありません。「借金問題」は資本主義社会のもとでは無くなりません。

開業当時から今も変わらずHPに「誠実で安心の法的サービスの提供」をモットーに掲げています。

私に出会えてよかった、と思っていただけるように、ただ債務整理をするのではなく様々な観点からアドバイスをすることを心掛けてきました。時には多くの時間を相談者や依頼人との会話に充ててきました。
これまで依頼人からいただく、「ありがとう」のお声に支えられてきました。
それがなかったら、今日までやっていないと思います。

今、私が司法書士として在るのは依頼人のお陰です。
ありがとうございます。


〜開業10年目を迎えて〜   多重債務者10分の一の記事を読んで(H26.12.4追記)

ちょっと、回顧的な話しをします。

振り返ると、

私が司法書士国家試験に合格したのは平成14年。

任意整理や過払い金を爆発的に全国の弁護士や司法書士が扱うようになる前夜でした。
まだ、弁護士や司法書士も任意整理や過払い金の請求を敬遠するという風潮すらありました。

勘違いされることもありますが、私は過払い金があるからこの分野に足を踏み入れたわけではありません。
試験に合格した時は「過払い」という言葉すら知らなかったのです。



多重債務の問題は新聞でも多く報じられていました。

困っている方が凄まじいほどいる事は知っていました。私の能力はたかが知れていますが、その少ない能力でも非常に喜ばれる業務であるということから足を踏み入れた分野でした。


仕事を始めたものの、最高裁で過払い金の問題が確定しておらず、取引履歴もすんなり開示してもらえる状況ではありませんでした。今では当たり前のようにもらえる取引履歴ですが、当時は「そんなもん3年分しかないよ」という理屈を毎回、論破しなければなりませんでした。取引履歴を開示させるために貸金業者の支店に直接談判にいくということもありました。


取引履歴を計算してみたはいいが、最高裁で明確な判断がなかったので引き直し計算の結果を相手は認めません。そこでまた論破しなければなりません。過払い金どころか債務の減額自体にも「何言ってんだ!!」と抵抗してくる有様でした。

貸金業者を論破しなければなりませんので、仲間の司法書士と集まり、判例や裁判例、事例の研究もしていました。全国の研修会に飛び回り、地元の研修会の講師をしたり、この本がいいとなれば買い漁ったりと。


貸金業者の抵抗もそれなりに強かったです。
街金も多く残っていました。「先生、夜も歩くことあるんだろ」と、意味深に脅されたこともあります。
実際は何もされませんでしたがね。右翼の方からもお電話で怒鳴られたことがあります。

今でこそ一般的な業務となりましたが、当時は、「毎回、毎回これだけ言い合いをしなければいけないとなると他の法律家は敬遠もしたくなる分野だな」、と言う感じでした。

実際に体調を崩して、片目が見えなくなったことも。
医者の診断ではストレスだということでした。



今でこそ、「任意整理」「過払い請求」がしたい、とはっきりご相談者もおっしゃられますが、当時は依頼者も深刻な表情で「破産をしたいのですが・・・」という入り方で相談に来られる方が多かったです。

皆さん、債務整理=破産と思われており、「多重債務問題」と呼ばれる言葉が全盛でした。

貸金業者のお金の貸し方も無茶苦茶でしたが、取り立ても厳しいものでした。
相談も非常にシビアな内容が多かったです。



この債務整理専門サイトも開業とほぼ同時に手作りで立ち上げました。

当時はHPを持っている弁護士や司法書士は全国的にも少数でした。

現在も業者に依頼せずに素人の私がコツコツとHPを更新しています。今では逆に手作りのHPが珍しくなっています(笑)まぁ、これはこれで特色と呼べるかもね。

HPすら珍しかったので専門のサイトはより珍しかったです。自分の人となりを知ってもらう方が安心して頂けるだろうと、ブログも始めました。

相談は有料が当たり前の状況の中、「無料相談」を大きく打ち出しました。
当時は無料相談は不当誘致と呼ばれかねない状況だったので、実験的だったと思います。

そのような甲斐もあり、わずか1ページしかない素人HPに相談者が殺到しました。
「依頼人の声」をご覧いただければ分かりますが遠くからのご相談も多かったです。



遠方から来られた相談者のために私が駅まで車でお迎えに上がったことも、
ご相談者と名古屋で待ち合わせをして、お金がないというので一緒にご飯を食べたことも、
クリスマスに雪のちらつく中、来所頂いて、ほっとした顔で帰られたことも、
刑務所帰りの依頼人が行方不明になり、何か月も探したことも
不幸な生い立ちの方の相談内容に心痛めたことも、

今では、懐かしい想い出です。

そこには数えきれないほどのドラマがありました。
言えない位の話もたくさんあります。



一つの時代を全速力で駆け抜けてきたという感があります。

今後は単純に過払い金で債務が無くなる、お金が戻るということは確実になくなっていきます。
多重債務と呼べるほど借入件数が多い方もほとんどいません。
そのような意味でも、この問題自体が区切りと呼べる段階に入っています。


ただ、「借金の問題」が無くなることは絶対にありません。

「多重債務問題」から形や姿を変えて「借金問題」として市民の影になっています。
初心を忘れず、司法書士の職業人生を終えるその時まで、今後ともこの問題にライフワークとして取り組んでいこうと思っています。

執務姿勢について


 依頼人に対してきめの細かい法的サービスを提供するのは当然の事です。

 その前提として相談を重要視しています。ご相談は端緒であり、今後の信頼関係の上でも大変重要です。

 依頼人に合わせて、「客観的・長期的な立場」でアドバイスします。その視点にたったアドバイスは身内や友人ではできません。家族から同じ事を言われれば反感を持つかもしれませんが経験豊富な専門家の意見だからこそ聞く耳も本人は持つという側面があります。依頼人は近視的になっており、長期的な視野が持てていません。借金問題を抱えていれば今月の支払いの事で頭がいっぱいですから仕方ありません。

 依頼人の方とドライな関係ではなく、さまざまな話をお聞きすることにより自然な形で信頼をして頂くように心がけております。依頼人に対しては必要に応じて様々な事をアドバイス差し上げています。借金だけについて言えば、本人の心持次第でなんとかなると思っています。

 「我々と関わったからには幸せになって欲しい」という気持ちで業務をしています。必要によっては依頼人にとって耳の痛いこともあえて直言しております。耳障りの良い事だけを言う事は依頼人の為にもなりませんが、貴重な機会とおとらえ下さい。

 「債務整理はいい意味でとらえればチャンスなのです」。これを機会に「生活を見直し、立て直し、再度夢に向かうチャンス」なのです。但し、反省はそれを教訓として生かす為に必要です。過去に目を閉ざせば未来にも目を閉ざす事になります。

 債務整理は新たな出発への関門でありチャンスでもあるとお考え下さい。前向きで、開き直ることも重要です。

 私の趣味など・・・

 今でも釣りが好きで川や海に行きます。やっぱり、一番好きな釣りは鱒です。サツキマスやサクラマス、レインボートラウト等を狙って釣りに行きます。たまにね。

 ルアーという小魚等を模した疑似餌で釣ります。北海道は千歳、空知、帯広、釧路、北見、網走をはじめとして道東地方をメインに遠征する事もありました。(また行きたいです)あとは福井の敦賀、福井市や長野の松本にも行きます。出不精なのですが、行動範囲が広い?ので、多分皆さんのお近くを通っています。

 読書は毎晩とはいきませんが、やっぱり本の虫です。今読みたいのは村上春樹の翻訳本です。小学生の時から池波正太郎の鬼平犯科帳が大好きです。映画もレンタルDVD屋にあるものはかなりの部分観ていましたが、今は忙しくて全く映画が鑑賞できていませんな。相変わらず俳優のアル・パチーノの大ファンで、尊敬している人物はチェ・ゲバラです。

 ガーデニングが好きで事務所は観葉植物など緑でいっぱいです。それが高じて自宅の庭で畑を始めました。花やら野菜やらごっちゃに色々と植えました。花は咲いたのですが、野菜はミニトマト程度しか成功しませんでした(ドンマイ)。秋にライムの木を買いましたが、最初からたくさんの実がついており、カクテルに絞って楽しみました。来年も実を付けてくれることを祈ります(頼む)。

 お酒も好きですが今年の夏以降かなり弱くなりましたし、白髪も増えました。大学生の時から順調に酒量が増えてきたのですがそろそろ見つめ直さなければならない時期に来たのだとも感じます。私のまわりの友人は50や60歳でも相当にアウトドアで元気なので、私もこのまま!!と思っていましたが予定通りにはいきませんね。

 最近では自宅でカクテルを作って飲んでいます。一番好きなのはジンリッキーです。夏は育てているペパーミントを使ったてモヒートも作ります。他にもレパートリーは結構あります。多分、そこらへんのバーよりも美味しいと思います。ジンリッキーにしても生ライムだし、ジンもいいのを取り揃えているからです。腕がよいわけではありません。

私のサイト運営方針 全て手作りにこだわります 


 岐阜はもとより、全国でも弁護士や司法書士が運営する借金問題に特化したHPが数少なかった10年以上前から当サイトを運営しています。もともと開設した理由は「借金はなんとかなりますよ」というメッセージを発する為と、債務整理というものがあることを知っていただきたかったからです。債務整理は誤解も多いため、手続きを躊躇される方が多いのです。債務整理について広く、正しい知識を知っていただく事も使命であると思い当サイトを運営しています。

 
ブログは2005年3月から継続しています。実は04年からすでにブログをしていたのですが、残念ながらその頃のブログは残っていません。ただ、05年当時でも司法書士や弁護士でブログをしていた方はごくわずかであったと記憶しています。ツイッターは今のところする気はありません。ブログでもかなり更新していますので(笑)

 全て私が文章を書いています。分かりやすく、自分の言葉で伝えられたらという想いからです。当サイトはプロの業者が作成した綺麗なHPではなく、私が作っているので素人感のあふれるHPではあります(笑)

 お困りの方が求めているのは綺麗さじゃない、分かりやすい言葉であり、親近感であり、メッセージなんだと。そして、相談をお受けする私の人柄が分かることが重要なんだ、と思っています。


 掲載されている言葉に意味があるのです。業者に任せないHPであればいつでも私が更新できますし、自分の言葉でHPを運営しているので皆さんに私というものを知っていただけます。それは依頼されるかどうかの判断材料ともなります。顔が見えにくいネット社会だからこそ、そのようなことが必要であると私は考えます。だからいつまでたっても素人くさいHPかもしれませんが私の手でHPを運営していこうと考えています。

 ちょくちょく子供のイラストが本サイトでは見られますが、それは単純に子供好きだからです(笑)


 HPをご評価いただき、全国各地から沢山のご依頼を頂戴しております。⇒依頼人の声をご覧ください



《番外編1.》 平成17年7月11日の私 (旧事務所にて)


平成23年3月30日にHPの画像を新しく入れ替えました。
記念に古い画像を一部掲載しておきます。初心忘れずの意味合いも込めて。

写真は開業からちょうど1年目の時の私です。事務所も自宅の一室でした。
そんなに変わっていない?、と自分では思っていますが流石にこの時は若いですね。

追記:でも、お酒に弱くなったし、ガタッ!!と体力の低下を感じるようになりました。


《番外編2.》 私の司法書士受験時代について

 高校生までは将来についての展望はほとんどありませんでした。漠然と会社員になるのかな、と思っていました。
本当に将来を考えるのが遅かったと思いますが、あるときに急に目覚めることになります。

 大学受験の時にどの学部を専攻しようかと考えました。流石の私でも学部の専攻次第で将来なにをするかある程度の方向性が決まると思っていたからです。そんな時、叔父に「法学部ならつぶしがきく」と言われ、やりたいことが分かるまで時間の余裕が欲しかった私は法学部を調べてみて、法律の仕事はやりがいがありそうだと感じました。

 親からも小さい頃から「手に職を付けた方がいい」と言われていたことも思い出し、また自分の性格的な部分から自由業でないと長続きしないであろうことも自覚していました。そういうことも総合的に考えた上で、独立もでき、やりがいのありそうな法律専門職になることが最適だと考え、地方私大の法学部に入学しました。大学に入ったら資格の勉強があるからと、受験勉強はほとんどしておらず、法学部ならどこでもよいとすら考えていました。

 大学2回生位の時は最初は弁護士になろうと司法試験の勉強をしていました。しかし、ちょうどその頃より司法改革の波が徐々に押し寄せてきました。制度的に大きな変革を感じ、せっかく勉強をしても司法試験の制度自体が変わってしまうのではないか?と不安を感じるようになりました。そんな時に「司法書士」という法律専門職があると知り、意識するようになりました。

 まず、司法書士に合格して司法試験はそのあとでチャレンジすればよいと考えるようになりました。大学に行きながら専門学校にも通い、昼は大学、夕方から専門学校に通い、司法書士の試験勉強を開始しました。結果としては以後の司法改革を見るにつけこの選択は正しかったと思います。ただ、この司法書士の試験も流石に合格率が3%以下という難関だけに相当に難しく、大学4年生になっても合格が出来ずに大学卒業を迎え、非常に焦りが募りました。

 大学の卒業後に感じたのは言いようのない不安感と恐怖でした。それまで年が経過すれば、高校生が大学生になり、大学も年次がすすみます。特になにもしなくてもエスカレーターのように人生が進んでいったのに、今後は司法書士の試験に落ちれば、「来年は何も変わらない自分がただ年齢だけをかさねてそこに居る」という恐怖がありました。

 自由競争で自己責任という意味で一般社会に入ったのだと否が応にも感じざるを得ませんでした。自分が何もしなければ何も変わらない。誰も助けてはくれない。他人の責任にはできない。言い訳はできない。自分を信じて出来るだけの努力をしなければならないと思い、大学を卒業してから気合を入れて勉強をするようになりました。


 岐阜県図書館で開館から閉館まで勉強をしていました。図書館が開館している限り通いました。何年も休まず毎日のように通い、同じ場所に座って勉強をしました。何年も毎日通う男を司書の方も、何者だろう、と思っていたと思います。それほど通いました。

 お金はありませんので母が作ってくれた弁当を地下駐車場に停めた車の中で食べていました。週に一回の楽しみは300円を握りしめ、吉野家の牛丼を食べる事位でした。真夏に自動販売機で缶ジュースを買う余裕もありませんでした。受験時代は物を買った記憶すらありません。冬は着古した洋服を肘が擦り切れて穴が開くほど着ていました。

 県の図書館が休館日の時は地元の出身大学とは別大学の図書館に潜り込んで勉強していました。昼食に自分で作ったおにぎりを図書館のトイレの中で食べたものです。相当通いましたから、とある大学の図書館では勉強熱心な学生?として職員に知られるようになってしまい、或る時に声を掛けられ、逆にその大学の学生でないことがバレてしまい追い出されたことも有りました。なぜ、図書館に通って勉強をしていたかという点ですが、私の場合は自宅では長年に及ぶモチベーションを維持できないと感じたからです。いわば、「出勤」する形を作りたかったのです。家でモチベーションを保って勉強できるならその方が無駄な時間がないので良いとは思います。

 一年365日、勉強をしないのは年に5日位でしたでしょうか。盆と正月位です。友達と遊びにいくことは、ほとんどありませんでした。たまに映画をみたり小説を読むことを楽しみにしていました。勉強ばかりで体を動かさないと思いきや、逆にそれを意識して早朝にマラソンをしたり、筋トレをしたりと筋力はなぜか付きました(笑)


 受験時代をこう描くと、「つらい」、「大変」と思うでしょう。しかし、当の私には非常に楽しいものでした。勉強という手段で自分を突き詰めればいいだけのことだったからです。しかも、やらされている訳ではなく、自分が決めた道です。しかも、勉強をかさねればかさねるほど知識が定着していきますので進歩している実感もうれしいものでした。大学の国家試験研究会に所属して、大学卒業後も週1回程度大学に通わせてもらっていたのも大きな刺激になりました。仲間と切磋琢磨したり、議論したりと不安でありながらも充実した年月を送りました。自分にとって「青春」とは、間違いなく受験時代を指します。大学に入って遊んでいるだけであったならば、青春として記憶はしなかったでしょう。

 そのような積み重ねもあり、大学を卒業して2年目の平成14年に「司法書士国家試験」に合格することができました。母親から家計的にも限界であると聞かされていましたが、何もいわず援助して頂き、勉強ができる環境を継続して用意してもらった両親に感謝しています。合格後に初めて知ったのですが、両親は毎年のように神社に合格の祈願をしてくれていたのだと聞きました。そのようなことは合格まではプレッシャーになるからと私に言わなかったそうです。両親も私の先行きに相当な不安を抱いていたと思います。合格を伝えた時は非常に喜んでもらえました。私もようやく人並に働くことができると思い、嬉しかったです。

 平成14年度 司法書士試験 
 受験者数2万5416名 合格者701名 合格率2.8%


 司法書士に合格後、司法試験の勉強を再開し、2年近く勉強をしていました。ただ、司法書士の受験を開始した時に不安を覚えた司法改革の波は激しさを増し、司法試験の制度自体が大きく変わり、当時の旧司法試験は廃止されることになることになりました。また、新司法試験では法科大学院に入学が求められ、特に司法試験の受験の回数制限があるなど、私には付いていけない制度になりました。ただ、司法改革の一環として司法書士に簡易裁判所の代理権が与えられることになり、それを契機として司法書士としての活動を開始して現在に至ります。後悔は一切ありません。時代の中で自分のできる限りに努力し、駆け抜けたつもりだからです。

 私が学生の時はちょうど司法試験の過渡期にあたり、どのように変革がなされるかも不明であったので若干、翻弄されたきらいもなくはないです。ただ、私が嫌いなのは、自分の生き方に言い訳をしたり、他の責任にすることです。人は自らが生きる時代を選べません。今を努力をして生き抜くことしかできないのです。努力が報われるかどうかなど分かりません。報われない事もあるでしょう。ただ、努力しなければ何も成し遂げることは出来ないと思っています。

 平成2年の小学校の卒業時に頂いたマグカップを四半世紀に渡り、大事に毎日使っています。
 そこにはこんな文字が書かれています。

 「継続は力なり」と。

 司法書士は遣り甲斐のある仕事です。

 いつか岐阜県司法書士会であなたにお会いできるのを楽しみにしております。

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